矢野マミ
夏休みが明けても、先生は戻って来なかった。私たちのクラスには教頭先生がやって来て、短い挨拶をした。
「〇〇先生は、今日はお休みされます。皆さん、夏休み中は元気でしたか。宿題を集めます」
だいたい、そのようなコメントがあり、みんな「わぁー」とも、「えぇー」ともつかないブーイングの声を上げて、教室の中は騒然とした。
子どもたちの声が、魂の雄たけびが鎮まるのを待って、教頭先生は宿題を集めた。淡々と。夏休みのワーク、絵日記帳、読書感想文、コンテスト応募用の絵。机の上に順番に出させて、一つひとつ後ろから順送りに集めた。学習係が前に出て来て出席番号順に並べ直した。自由研究は、教室の後ろに並べるように言われた。みんなまた大騒ぎになった。私は水族館を出した。空き箱に上から糸で魚をつるし、水色のセロファンを貼って横から見る。少し揺らすと、海の中を魚が泳いでいるように見えた。チョウチョウウオ、というのが私のお気に入りだった。学研の図鑑で見つけた。魚屋さんには売っていない綺麗な色をしている。黄色と黒。蝶々と言うより、葉っぱのような形をした平たい魚だ。箱の後ろには海の中の絵を描いた。ごつごつした岩とサンゴ、海草、砂。
あの時の記憶が、気持ちが、うわーっと戻って来る。先生は、どうしたんだろう? 私たちは、もう先生に会うことはなかった。名前も、憶えていない。写真も残っていない。ただ、夏休みが終わった後、先生が戻って来なかった記憶だけが、紙で作った魚と一緒に記憶の海を泳いでいる。いつまでも、どこまでも。
今だったら、ちょっとわかる。先生は、夏休みを永遠に生きることに決めたのだろう。
海か、山か、出かけて行って、帰らない決意をする。波音やセミの鳴き声と湿っぽい夏の空気が脳内に満ち満ちて、夜になっても鎮まらない。ざわざわしている。8月25日を過ぎて、夜になると虫の声が聞こえるようになってきても先生の心は鎮まらない。夏休みを続ける決意をする。8月30日に学校に行って校長先生と話し、8月31日には机の中を片付ける。もういらない。全部いらない。もう先生を今日で辞めるんだ。せいせいする。全部処分する。他の先生が、新学期の準備をしている横で、淡々と机の中のものを出していく。全捨てだ。ロッカーの中の予備の白いポロシャツや黒のジャージも捨てる。もう明日からは天然色で生きると決める。
「短い間でしたが、お世話になりました」
「子どもたちが悲しみますよ」校長先生の声が聞こえる。「私にも、自分の人生がありますから」先生は、そういって握りしめた拳を開くと、ぱっと顔を上げて、校長先生の顔を見て笑った。もう戻って来ない人の顔だ。
夏の終わりに、いつも思い出すこと。先生が戻って来なかった。
私たちは何か悪いことをしたのかしら? しばらくはそんな想いでいっぱいだった。少なくとも小学校の間は。
でも、大人になった今、夏休みを永遠に生きることにした先生の決断を素晴らしいと思うようになった。
「昔ね、夏休みが終わっても学校に戻って来なかった先生がいたんだよ」
私は子どもに話してやる。「えーっ! うそー」「うそじゃないよ、ほんとだよ」
*関係者がわからないように、設定等を変更しています。
